プレスリリース

3月6日より始まるマキイマサルファインアーツでの個展『Studies on Everyday Flow-ers』のプレスリリースが出来ましたのでブログの一番下にリンクを張っています。 マキイマサルファインアーツの木股様・佐藤様ありがとうございました。又今回の展覧会のゲストキュレーターである宮崎申太郎氏が展覧会のために素晴らしい文章を書いてくれました。以下に貼り付けていますのでよろしければご覧になってください。
また今週の金曜日1月23日17:00時からは同ギャラリーで世界各地で車を回転させるパフォーマンスをしていらっしゃる要注目アーティスト、久保田弘成さんの個展”泥匂崇拝”のオープニングパーティーがあります。東京に住んでいらっしゃる方はぜひ見に行ってみてください。
〒111- 0053 東京都台東区浅草橋1-7-7 Tel&Fax 03-3865-2211
JR総武線 浅草橋駅 東口・都営地下鉄 浅草線 A2出口より徒歩2分
詳しくは久保田さんのブログから。
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松崎宏史個展『Studies on Everyday Flow-ers』(ゲストキュレーター/宮﨑申太郎)
今日我々は、モバイル·テレコミュニケーションの時代に生きており、近い将来、知能化された目に見えない小さなものたちがネットワークで繋がれ、日常生活をサポートし管理するようになるだろう。このような時代には絵画のような古典的な美術の分野であっても、その限られた枠の中で、現在のこの状況を作品に反映させるべきであろう。
伝統的な西洋絵画を学びながらも、アクションスクリプトやプロセッシングのようなグラフィック·プログラミング言語も独学した松崎の、螺旋状の「Flow-ers」は、我々の置かれた現状への客観的なメタファーだ。彼はカモフラージュされたメディアアーティストである。画家のマスクをしたメディアアーティストとして、彼は現代の情報化社会の非常に重要な要素について考えを巡らせている。それはケーブルや情報回線、つまり点から点、またはあちら側とこちら側の繋がりのメタファーである。
心理学者のミハイ·チクセントミハイは、1975年に行った人間の意識と知覚についての研究結果を元に、1990年、彼の世界的ベストセラー『フロー体験 喜びの現象学』を上梓した。「フロー」とは人間がひとつの活動に深く没入している時、時間が瞬く間に流れて行くように感じる、我々の意識と知覚の状態をいう。本を読む、テレビを見る、働く、テレビゲームをしているようなとき、我々はしばしばこの状態を体験することができる。興味深いことに、1960年代、彼はすでにアーティストがどのようにしてアイデアを生み出すかということを研究していた。
電車やバスで移動しているとき、ヘッドフォンをしたり、本、携帯電話、ゲーム機、などを手にしながら、この「フロー」の状態に没入している多くの仲間を、我々は目にすることができる。彼らが使っているそれらのメディアテクノロジーを介した情報伝達のプロセスそのものもまた「フロー」と呼ぶことができる。それを情報技術者たちは「データフロー(データの流れ)」という。
松崎宏史の花のようなスパイラルには、吸い込まれるようなエネルギーがある。絵が物体になり、空間となり、チャンネルとなる。それと同時に、その空間は他の世界への接点である。チャンネルはあちら側に繋がっている。それは壁の反対側か、または地球の反対側だろうか。花は、ケーブルから作られているように見え、少し前まで存在していた古い電話機の受話器を繋ぐ螺旋状の線を思わせる。
情報のフローはまるで自然に起きているように感じる。何の苦労もなしにオンラインでき、繋がることができる。それはまるで世界中が強制的にひとつの情報回線にまとめられているかのようであり、それによって限られた少数の権力者が世界中をコントロールしている。松崎はしかし、その真実をただ直接的に批判するのではなく、メタファーとしての花のようなスパイラルを提示することにより、鑑賞者にそのことを考えさせるのである。
情報のフローは自然には起きていない。それは我々がまるでいかにも簡単に繋がることが出来るようにみえるだけで、そのフローは様々な因子の働きである。メディアテクノロジーはその存在を認識されないように高度な働きをしている。メディアテクノロジーはできる限りスムーズに違和感無く機能するようにデザインされている。ドイツ哲学者のマルティン·ハイデガーは1927年に「メディアは眼鏡のようなものだ」と書いた、つまりその存在は普段は認識されることがない。
松崎は反抗的、批判的なのではなく、素直に、より日本的にそのすべてのプロセスに加わっている。アクリル絵具を使った、うんざりするような繰り返しのプロセスで、たくさんの絵画を描くことに没入していく。まるで奴隷のように働いている。彼はコンピュータの中に記号として存在するグラフィックを現実の世界に描き出す。松崎は象徴的なサイバースペースからカンバスの現実の物質性への再送信を実行するのだ。松崎はメディアであり機械である。しかし、それは人を困惑させるような機械ではなく、非常に友好的な機械である。彼は、因数χで機能してる人間デジタルーアナログ変換器なのだといえるかもしれない。19世紀の西洋では、その因数χを哲学者はジーニアス(天才)と名づけていた。
宮崎申太郎(キュレーター、サウンドアーティスト)

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